『御言葉が開けると』
「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」(130節)
み言葉が開けるとは、戸(ドアー)を開ける時、光であるみ言葉が射し込み、み言葉そのものの命を経験するということです。また、無学な者に知恵を与えますとは、かたくなではなく、単一な心、従いやすい素直で受け入れやすい心のことです。
開かれた心にこそ神のみ言葉は光線のごとく射し込んで来て、私たちの汚れた心さえも清め生かしてくださいます。この詩篇の記者はエズラと言われており、み言葉の経験をした人です。
詩篇119篇は全体が神の言葉について語られており、み言葉には大切な役割があります。
- 第1に「心の糧」です。生きるためにパン(糧)が欠かせないようにみ言葉は心のパンです。イエスは「わたしは命のパンである」と言われました。
- 第2は「人生の案内書」です。歩く時の地図であり。航海の時の羅針盤です。第3に「勝利の秘訣集」です。クリスチャンは神の御国に行くまで試練や困難があります。信仰の戦いに、人生の戦いに勝利するのはみ言葉によるのです。
私たちは日ごとにみ言葉に聞き、神の光によって開かれる経験をしたいと思います。
ダニエルは、み言葉が開ける経験をしました。
ダニエル書9:2、24には「文書(み言葉)によって悟った」とあります。
それはかつてエレミヤに語られたイスラエル回復の時期についての神の約束でしたが、その後長い間伏せられていたのです。ダニエルはその捕囚期間が70年であることに目が開かれたのです。
それはまさにみ言葉が開かれた経験でした(エレミヤ書25章11節以降参照)。
み言葉が門を開けるように入ってきた時、本当に起こる、その通りになると悟るのです。
「末の日にあなたの民に臨まんとする事を、あなたに悟らせるためにきたのです」
(ダニエル書10:14)
実に今は恵みの時、今は救いの日なのです。
主イエスを信じるときに、十字架の罪のゆるしと贖い、復活による救いが与えられることを悟るのです。
そして、やがて主イエスは王の王、主の主として再臨されることを心から待ち望むことが出来ます。
神のみ言葉に心を開く者に
「あなたのあかしは驚くべきものです」(129節)
と驚くばかりの恵みを示されるでしょう。