『主イエスの御名によって祈る』

於保 治樹主任牧師

使徒行伝3章1~10節



ペテロが言った「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい

(使徒行伝 3章6節)



生まれながらに足の不自由な人が、毎日のように「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに置かれてました。この男の人は40歳で、長い年月を悩みと苦しみの中で生きてきたのです。霊的には、生まれながらに罪で苦しんでいる、私たち人間を表しています。ペテロとヨハネは、午後3時の祈りの時に宮に来て、その人をじっと見ました。 男の人は一時的な助けを期待し、今生きるための生活費を求めていたのでしょう。


ペテロは、
「金銀はわたしにはない。しかし、本当の生きる命を与える。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言いました。そして手を取って起こしてやりました。すると彼は立ち上がり、踊り上がって神を賛美しながら宮に入って行ったのです

(3章6~8節)



これは、生まれながらの罪の奴隷の人間が、キリストの名の故に、キリストの救いを受けて生まれ変わり、新しく造り変えられ、宮(教会)に入って行く、神の国に入って行くその喜びを表しています。


たった一つの条件は、「イエス・キリストの御名」によるのです。


イエスによる信仰が完全に癒したのです。病いを癒し、魂を救い、罪の中から永遠の命に移し、死から命に、闇から光に、神の子供、神の民へと、全き救いを与えることができるのです。


なぜ、「イエス・キリスト」の御名がこんなにも力があるのでしょうか。


それは、イエス・キリストの昇天にあるのです。イエス・キリストは、十字架にかかって死なれ、私たち人類の全ての罪の贖いを成し遂げて下さり、復活によってサタンのとげである死を打ち砕いて勝利し、40日間、人々の前によみがえりの姿を現した後、昇天され、天の神様の右に座されました。このことがイエス・キリスト様の権威なのです。


「神は彼(キリスト)を高く引きあげ、すべての名にまさる名を彼(キリスト)に賜った。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、またあらゆる舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである

(ピリピ2章9~10節)



この権威のゆえなのです。


そして、このイエス様の御名の権威を、クリスャン一人一人に託しておられます。


神は、天国のもろもろの祝福を、教会に、私たちに託しました(エペソ1章22節)。


この権威と祝福は、私たちに預けられているのです。まさにイエス様の通帳と印鑑を託されているのと同じです。それは、人々が救いに導かれる為、サタンから解放され、この世から解放されるためです。私たち、クリスチャン(教会)は、信仰持って、このイエス・キリストの御名によって祈り、この特権を用いさせて頂きましょう。